Matajiro of 河村喜平 喜中窯

父・河村又次郎



ここに掲載した作品は最後となった個展のものです。
私にはまだ遠い、枯れた技の、非常に魅力的な作品たちでした。



父が個展の案内状のために書いた文には、いつも何かを考えさせられます。
ここにそのいくつかをご紹介いたします。








「不自然な」という言葉は、物事の本質から離れ、
わざとらしいと同意語です。
 どのようなことでも、何かしてやろう、
造ってやろうとするとわざとらしくなります。
作れば過ぎるし、作らざれば何もないという
揺れ動きのなかに仕事をしてきたように思います。
土、火がもつ自然の声を聞き、自分の心を通して、
新しい自然を表せればと念じています。

やきものの作品は、それ自体で
完結しないものだと思います。
壷なら花が入った時に、お互いが生きてほしいし、
皿なら料理で絵が描けるようであって欲しい。
作り過ぎたり作らないことの物足りなさを感じながら、
その間を右往左往している思いです。

芭蕉が「不易流行」といっています。
詩のこころは変わらないが、
様式は変わるということでしょうか。
時代の移り変わりは、日々めまぐるしく
変わっているように見えます。
そうは見えても変わらざるものがあるはずです。
「不易」なるものを迷い迷い探しています。

登り窯の白熱した炎は、粛々として人の本性をゆすぶる。
土が炎によって新しい生命が息吹くときです。
やきものは、自分が造るというより
自然によって創られるものでしょう。


河村又次郎 Matajiro Kawamura (1930-2006)

昭和5年、京都に生まれる。喜太郎の二男。25年、父・喜太郎とともに愛知県豊田市平戸橋に移る。28年、京都市立美術大学彫刻科入学。32年、卒業。日展入選。日本現代陶芸展入選。41年、父・喜太郎の逝去により鎌倉の其中窯(北大路魯山人陶房跡)を継ぐ。ローマ法皇ヨハネパウロ2世来日に際し、又次郎作の聖餐具一式が日本司教団より献上され、バチカンに永久保存される。豊田芸術選奨。